?第五福竜丸展示館


2008年2月1日訪問

 東京都江東区、「新木場」駅から歩いて約10分の夢の島公園内に第五福竜丸展示館はある。

   

 1954年3月1日、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁におけるアメリカ水爆実験によって第五福竜丸は被災した。
 静岡県焼津港所属のこのマグロ漁船は、1月22日に出港してミッドウェー海域からマーシャル諸島海域にかけてはえ縄漁をしていた。
 死の灰を浴びた23人の乗組員は急性放射能症にかかり、3月14日の朝、焼津に帰港する。
 全員が入院し、水揚げしたマグロなどは放射能が検出されて廃棄された。
 原爆マグロのニュースは水産業関係者に大打撃を与えた。
 9月23日、無線長の久保山愛吉さんが亡くなる。
 他の乗組員も治療の際の輸血からC型肝炎に苦しむことになる。

     

 広島長崎の被害状況がようやく広まってきた時期でもあり、この第五福竜丸がきっかけになり、原水爆禁止運動が起こり、55年の8月には第1回の「原水爆禁止世界大会」が広島で開催される。
 第五福竜丸の船体は、事件後練習船として使用された後、廃船処分になる。
 夢の島に放置された第五福竜丸船体の保存の動きが始まるのは68年。
 運動が実を結び、70年には船体が地上に固定され、76年には東京都立第五福竜丸展示館が開館した。

    

 展示館は、船体を覆うようにして作られている。
 船体をとりまくように展示がされている。
 展示内容は、この船の被災の状況を表す資料や実物だけでなく、当時の報道の様子や核実験の歴史、マグロ漁業の資料や世界各地における核実験被害の様子など、幅広い。

    

 図書コーナーや資料販売中心のショップも小さいながら充実している。
 来館者のメッセージを掲示するボードもあり、子どもたちが牛乳パックで作った第五福竜丸の作品もならんでいる。

    

 このような内容を見ると、原水爆の惨禍が再び起きないようにしたいという、この館の意図がよくわかる。
 単に過去の出来事を伝えるだけでなく、核のない世の中をつくろうという意志が見えるのである。
 館の前に久保山さんの言葉を刻んだ碑が立っている。
 「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という、その言葉を実現したいという願いが、この館の展示には生かされているといえる。 

    

 第五福竜丸展示館は、第五福竜丸事件というひとつの出来事から原水禁運動が広まっていったように、第五福竜丸という限定された対象にとどまらない展示内容を持っている。
 それは自国のみならず、核による被害という点で共通する全世界に目を向け、核のない平和な世界を指向する内容であり、来館者をそちらへ導こうとする意図と内容を持った、平和博物館であるといえる。


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